空き家①-1 空き家が生まれる前

私の実家は父で7代目になる農家です。初代から4代目までは専業農家(今から150年ほど前ですので、農業しか生業がありませんでした)で、5代目以降(私の曽祖父の代)から兼業農家になりました。
↑この写真は私が幼い頃のものです。
家の前の田んぼと畑を脇に、家に続く道の上に佇む姿を写してもらっています。私の幼い頃は、家族総出で田んぼと畑の世話をして、自分の家で食べるお米や野菜くらいは自給自足していました。
それは、集落の他の家庭も同じ。↑写真の奥の方には川向こうの田んぼが写っていますが、当時はどの家庭もほとんどが兼業で、農業は自分の家で食べる分だけは作って、作り過ぎた分はご近所さんと物々交換。自分の家では作っていない作物でも、ご近所さんから分けてもらうことができました。
そして、各家庭が農地が荒れないよう管理するのが一般的でした。
冬の山陰は豪雪。冬場はどの家庭も農業はお休み、大人たちは来たる春へ向けての準備をし、子ども達は雪の中を駆け回っていました。写真のように、家に続く道でよくソリ遊びをしていたのを思い出します。
そして、冬が明けて雪が溶けると、山にふきのとうやタラの芽を取りに行きました。山の手入れは素人だったため枝打ちくらいしかしていませんでしたが、山からの恵みも生活の支えでした。幼い頃は薪でお風呂を焚いていたので、父や祖父は薪になる木を調達したり、初夏には筍掘りに行ったり、秋には栗拾いや銀杏拾いをしたりして、兼業ながらも農業中心に家がまわっていました。

Tottori 空き家活用の模索者

鳥取県の2件の空き家の管理運用を模索しています。今のところ、家族に空き家を手放す気持ちはなく、時々そうじに行っていますが、人の住む予定もなく… 私設図書室、または地域の集会所のような形にできないかと妄想中です… 空き家があるのはともに限界集落。空き家から考える 地域のミライ を記事にしていけたらと思います(^^)

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